現代では、大和撫子というと、
凛として慎ましい、清楚で言葉使いの美しい女性の褒め言葉として使用されます。
ご存知の通り、ナデシコとは秋の七草で、6月から9月頃まで咲きます。
花びらの形や色は様々ありますが、茎がひょろっと長くて、50センチほどの背丈になる草花です。か弱そうに見える細長い姿とは裏腹に、ナデシコは乾燥にも強く、たくましい花です。こういう特徴から、清楚に見えつつ内面に芯のある女性を指すのでしょう。
ナデシコという語源は
「子どもをナデナデしたくなるほどの愛らしい花(撫でし子)」とな。
しかし、この大和撫子という言葉を昔は男性に対しても使用していたんです。
奈良時代には、ナデシコというのは愛しいあなたという例えに使われていました。そしてなんとなんと、それを詠み合っているのが、男性同士だというからムフフですね。万葉集の5%ほどはBLなんじゃね?というフラグがたつ歌が収められているのですじゃー。花鳥風月を詠む歌が主流でしょうが、男性同士の深〜い絆を匂わす歌が5%あるとは、まあまあの比率ではないでしょうか?
万葉集をまとめた大伴家持は、イケイケのモテ男だったらしく、沢山の恋の歌を世に残しています。
【家持が大伴池主に詠んだ歌】
我が背子(せこ)は玉にもがもなほととぎす 声にあへ貫(ぬ)き手に巻きて行(ゆ)かむ
貴方(あなた)が玉だったらいいのに。それなら時鳥(ほととぎす)の声と一緒に糸に通して手に巻いて行こう」
【池主からの家持への返歌】
うら恋(こひ)し わが背(せ)の君(きみ)は なでしこが 花にもがもな 朝な朝な(あさなさな)見む
心恋しい あなたは、なでしこの 花であればよいのに。
そうしたら、毎朝毎朝見られるのに。
家持と池主が実際に恋人ような関係だったかは、マジ謎ですが、二人は愛を育んでいたんだろうなーと詠み歌から察します。当時は、おそらく現代よりも性に寛容だったし、近代以降になってから性的少数派がタブー視されるようになったのでは?と思います。
大和撫子という言葉が、女性に対しての褒め言葉に変化していった経緯は明治期の世界戦争を機に、慎ましやかに文句も言わず家庭を守る女性をつくるスローガンだったのでは??
言葉も文化も遡ると「え?そうだったの??」という転換期があったりします。
ともあれ、男性も女性も元は子ども。愛したい人をナデナデしたい気持ちには変わりないかと。
と・こ・ろ・で!
をへやのナデシコニュース!
ナデシコの背丈が伸びてクニャクニャと頼りなかったので、7月に剪定した桜の枝で柵を作りました。
枝を石で叩きつけて、柵を作ったのですが、支柱にした桜の枝から8月の終わりに葉が出てきたのです!
大きな石で叩かれても、ど根性で葉を広げ生きる、これこそ、まさしく大和魂なのでは?桜が挿し木になるなんて知らず、本当に驚きました。
庭を育んでいると、なんというか、生命力に圧倒されます。
春には桜、秋には撫子が。
どちらも、ど根性。
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