大分県日田市の山奥で江戸時代の中期に開窯した小鹿田焼。「小鹿田」と書いて「おんた」と読みます。こりゃまったく読めねーですよね。
むかーし昔、この土地が狭く荒地であったことから、「鬼」という文字を使って「鬼カ田」と書かれたり、鹿の生息地でもあったため「鬼鹿田」と表記されたり、山奥で隠れて稲作してたから「隠田」などという経緯があって「小鹿田」でおんたと呼ぶようになったそうじゃ。
昭和6年、民藝運動の主唱者である柳宗悦(やなぎむねよし)氏がこの山奥に来て大絶賛。伝統技法と質朴な風合いに、どハマりしたことで有名となりました。
なぜこの窯が
今も昔のやうに作るかゞよく分る・・・
又来たい心が頻りに湧く
柳宗悦著『日田の皿山』より
柳氏は小鹿田焼の名を世に知らしめたが故に、陶工たちが一過性のブームに翻弄されることがないよう心配していました。
陶工たちは、柳氏の教えを守りぬき、開窯から300年有余年、「一子相伝」で親から子へと手仕事の技を伝承しています。北斗神拳さながらの秘技を家族でつないでいます。
小鹿田焼の里「皿山地区」へは、日田市内から車で約30分。長閑な道のドライブです。
あ、そうそう!途中、馬油を売っている店があったので立ち寄り、購入したのですが、肌馴染みが良くてすごく良い品物でした。あとおばちゃんが面白い方でした。←完全なる道草です。
皿山地区に入ると小鹿田焼陶芸館があるのでそこで駐車をして、資料館見学。(なんと無料!!)作陶に関しての知識を脳みそにインプットしてから、9箇所ある窯元を散策します。
静かな里山を歩くと、水の流れる音、そして
ギーー、ギィィーーぃ。ゴトン。
小川の水力を利用した「巨大丸太シーソー」みたいなのが、あちこちで蠢いています。
これは唐臼(からうす)と呼ばれ、乾燥した土を突いて粉砕する工程で、20〜30日かけて、土を粒子状にします。機械を使うことなく唐臼のみで土づくりをする集落は世界でも、なんとここだけ!らしい。粉砕の過程以外も、小鹿田焼では全ての工程において昔ながらの手作業で行います。ひと窯ぶんの陶土を用意するのに2ヶ月要するそうです。私のしている織物もそうですが、成形するまでの準備作業に手間暇がかかるんですね。
訪れた日は晴天でした。窯元の軒先には、所狭しと器たちが「サライタ」という板に乗せられ、天日干しされていました。鳥の置物、植木鉢、平皿、小鉢などなど。天日乾燥時は地味なベージュ色の器たち。これからどんな細工が施され、彩られるんだろう。
この乾燥が終わった器を蹴轆轤(けろくろ)で回転させながら装飾を施し、釉薬をかけ、焼成の工程を経るそうです。
1250度の高火度焼成。杉を使います。
登り窯による火入れの作業は年に数回しかありません。神様に祈りを捧げて火入れを行い、55時間も夜通し焚き続けるそうです。きっと真剣勝負でピリついた空気なんだろうなぁ。
地域ブランドの商標登録のため、陶器にそれぞれの窯元名は入ってはおらず、小鹿田とだけ刻印されています。窯元の方が「同じ土を使って、同じ釜で焼くから似たようになるんですよ」と仰っていました。しかしやはり、それぞれの窯元の風合いが微妙に異なっていて、自分のお気に入りを探すのにワクワクしました。
若手の窯元さんの作品はどこかロックな風合い。そう伝えると、「全く音楽しないんだけど、よくそう言われるんですよ。」と照れ臭そうに話されました。
高校時代の国語の教科書で読んだ柳氏の「用の美」がようやく理解できる歳になりました。
実用性のなかにある美しさは、使うほどに暮らしの中に馴染みます。
風土や自然の恵みによって生み出された器を大切にどんどん使っていこうと思いました。
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